稼げない自分との対話 【望みは叶わないけど思いは叶うの恐ろしさ】

この記事にも書いたんだけど、自分の嫌なところと対話する方法を最近会得できた✌️

今度は「稼げない自分」と対話してみることにした。

まず、稼げない自分を探す。

稼げない自分は、「やらなきゃ〜」と思いつつ、仕事に集中出来なかったり、自分の目標に全然到達しない時に現れる。

焦燥感を感じて身体が緊張する感覚、胸がモヤっとする感覚、そこを探ると、、稼げない自分が居た。

前回もそうだったんだけど、今回もめっちゃキレキャラ。話しかけると「なんだよ‼️💢」といきなりキレられた。

ここで本当は稼げない自分に名前を付けた方が良いんだけど、見つけたと同時にいきなり話しかけられたもんで、名前を付けるのを忘れた。

「何で稼げないの?」と聞くと、

「おめーが無理矢理やらせるからだろ‼️💢」とキレてくる。

「本当はやりたくないの?」と聞くと

「そーだよ❗️だからそう言ってんじゃねーか‼️いつも無理やらせやがって💢」と、物凄く怒っている。

「じゃあ、私がやりたくない事をいつも無理強いさせてるってこと❓。 」

「だから、やりたくねーっていつも言ってんだろーが‼️💢」

そうだったのか。。ていうかそうだわ。

私、いつもやりたくなかった。

お金は欲しいけど、「仕事をバリバリやって稼ぎたい‼️」と思った事は一度もない笑

仕事を「やらなきゃ」とは思うけど、「やりたい」と思った事も一度もない。

もちろん仕事を楽しいと思った事もない。でも、それが「仕事」だと思ってたんだよね。「嫌じゃなければ仕事じゃない」という精神。。

稼げない自分に、さらに質問を続けた。

「どうしたら稼げるようになれるの?」

「知らねーよ‼️とにかく私を自由にしてくれ‼️」

頭の中にアラジンのランプの精が浮かんだ。

「もう行っていい?」

「ちょっと待って、えっあなた囚われてるの⁉️

「そーだよ‼️自由にさせてくれよ‼️💢」

「あ…ハイわかりました」

「もう行っていい?」

「どうぞ〜(えっ結局自らオリの中に戻るんだ)」

ー終了ー

稼げない私は、逃げたくても逃げられない状況のようで、身体には見えない鎖が繋がれているようだった。なんだか可哀想。。

稼げない自分が何もしたく無いなら、仕事をしないで夫の稼ぎに委ねて生きていくのが本望なのか❓と考えてみたけど、それも違う気がする。

そうすると、どうしても夫に自分の人生が振り回されてしまう。自分の人生を自分でコントロール出来ないのは嫌だ。

それは、「何にも縛られず自由になりたい」っていう気持ちなんだけど、ここで、はたと気付いたのが、

自分で稼ぐ=自由なのか?ってことだった。

私は、嫌な仕事を無理矢理やらせることで、結局のところ自分で自分を縛り付けてしまっていた。

結局、私、稼ぐ為に自分を不自由にしてたじゃん❗️「あれしなきゃ」「これしなきゃ」って、いつも思ってた。

ええ…じゃあ私どうすればいいんだろう?

自由の意味を改めて調べてみると、「自由とは誰からも支配されず、自分の思うがままに生きること。」とあった。

「自分の思うがままに生きる」のは、自分で物事を選択している時点で、既に出来ているはず。

じゃあ、私は既に自由なはずだよね。なのに全然自由を感じないのは「〜しなきゃいけない」という言葉にも表れているように、自分で選んだ自覚が足りないんじゃないかと。

自分で選んだ時点で「〜したい」のはず。

でも、そうならないのは、例えば、「お金は欲しいけど働きたくない」という気持ちを持っていたとして「働かないでお金が手に入るなんて無理だよね」と思っていたら、働くor 働かないで節約するの2択になってしまい、本当の自分の望みである「働かないでお金が欲しい」から遠ざかってしまう。 

その本来の望みじゃないものを選んでいるから自分の人生を生きれず、「〜しなきゃいけない」とか「〜するしかない」という何者かに支配されているかの様な思考になるんだと思う。

もし、本当の望みの為に選択して行動していれば、「〜しなきゃいけない」なんて思わず、もっとウキウキ取り組めているはずだよね。

でも、私だけじゃなく、今の社会に生きるほとんどの人は「〜しないといけない」という気持ちを持って生きてるような。。

稼げない自分が教えてくれたのは、そんな環境に自らどっぷり浸かる自分への怒りだった気がする。

数日経って、また稼げない自分と対話してみた。

今度はわりと穏やかで「あ、どうも」みたいな感じの印象。

稼げない自分に「どんな稼ぎ方がしたい❓」と聞いてみたら、

「働きたくない」と即答。

「働きたくないけど稼ぎたいでしょ?」

「…いや稼ぎたくない(渋い表情)」

詳しく話を聞くと、稼ぐ=辛いこと、やりたくない事をやること、キツイ事というイメージがこびりついているようだった。

「じゃあ、仮に自分の好きな事だけしてお金が稼げたらすごく良くない?実現可能かどうかは置いておいて、もしそうだったら」

「それならいいね。」

「でしょ?じゃあ、やっぱり稼ぎたくないというより、嫌な事をやるくらいなら稼がなくても良い」ということなんだね

「そうね」

「じゃあ、やりたい事って何?」

「…(しばらく出てこない)旅行かな」

「(またしばらく考えて)あと、美味しいものを食べたい、あと肌触りの良い柔らか毛布でたっぷり寝たい」

「(うわあ、すっごい疲れてるー!)じゃあいいよ。好きにして」

「え?!いいの(嬉しそうに目をキラキラ)」

「いいよー。毛布なんてすぐ良い用意できるから(サッと敷く)どうぞ。寝て良いよ」

「やったー‼️(毛布に潜り込み体に巻き付けてゴロゴロしてる)」

「おやすみー」

ふぅ、何だか良いことした気分

私、自分を甘やかしていると思っていたけど、無意識ベースでは全然甘やかしていなかった。

いつも「やりたくない事をやらなきゃ」と思っていたんだなー…。

なんかこれって母親と一緒じゃない…?嫌だな、「私、母親みたいになったら人生終わる」と思って生きてきたのに、まさか似ていたなんて(ショック…)

ちなみに「稼げない」と自分では思ってしまうけど、客観的に自分の人生を見てみると、稼げてる時期もけっこうあるのに、なぜかそれを「ないこと」にしてしまっているんだよね。

その辺は「仕事ができない自分」と対話してみたら、わかりそうな気がするので、今度対話してみることにした👀

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